出生と才能の不平等はどうしようもない

出生の格差について

資本主義社会においては、教育論や一般論では埋められない、現実として、どうしようもない格差が生じます。人は生まれながらにして平等ではありません。裕福な家庭に生まれた者と、貧乏な家庭に生まれた者とでは、最初から格差が生じています。辛い現実ですが、受け止めて、どう生きていくかをしっかり見据えて行った方が、良いと思います。

金持ちの家に生まれたなら、スタートダッシュでかなり有利に立てる事は間違いないです。以下に私が思う出生のメリット/デメリットについて記載しています。まあ、ほぼメリットしかないんですけどね。この内容を書いたのはほぼ私自身の愚痴みたいなものです。ですので、この内容から何か得られるものはないと思います(笑)。

この内容について、基本的に迷いのない人にとっては、金持ち/貧乏に関わらず、自分の進むべき道を自身でしっかり決めて、突き進んでいくし、失敗しても自分で何とかして乗り越えていく方法を見つけるので、全く刺さらないと思います。

この内容が気になる人は、私と同様に凡人の類で、「ああ~、もし、お金持ちの家庭に生まれていたら、俺も成功できたのに」とタラレバばかり考えて、家庭や人のせいにしてしまう私のような弱い心の人間だったりします。この記事は「最後は自身の人生は自身で切り開くしかないんだ」という現実を私自身に言い聞かせる為に、書いておこうと思いました。

1、受けられる教育が良い

子供にお金をかける際、やはりお金持ちの家庭に生まれた方が色々な教育を受けられる機会が高いはずです。近年、プロゴルフの大会の出場者なんかを見てみると、年齢が1桁台の時からゴルフをしている人も良く見かけます。ある程度、お金に余裕のある人でなければ、なかなか幼い頃からゴルフをやらせる事は無いと思います。学校とは別に塾、家庭教師、習い事を学ばせるとしても、やはりお金はかかるもの。

2、生活環境が良い

生活環境が圧倒的に良いですよね。自分だけの部屋があったり、専任の家庭教師をつけたりとかできますよね。お手伝いさんがつくことだってあるかもしれません。勉強するにも遊ぶにも仕事する上でも環境は良いと思います。

3、必要な物の取得に困らない

学校で必要な物とか、自身にとって必要な物とかあった時に買えないといった事はないでしょう。よくあるケースとして、兄弟又は姉妹が一緒の学校に行くと、上の子のおさがりを使うケースがよくありますよね。私も親戚の中で一番下だったので、従兄弟の服や物のおさがりをもらったりしていました。上の子の名前が書いてあったりすると、あまり気分の良いものでないですよね。また悪い言い方ですが、他に欲しい物があった時に、おねだりする事で手に入れられる可能性もありますよね。

4、両親の人脈が高レベル

お金持ちの家庭の人は、お付き合いしている人もお金持ちの方が多いです。その為、様々な会社のトップの方たちであれば、就職時にコネが使える時もあるし、何か困った時に相談するにも、心強い味方となります。近所のおじさん、おばさんとは格が違います。でも、親切心でいったら、近所のおじさん、おばさんの方がよっぽど親切かもしれません。何故なら、上流階級の方はとにかく忙しい方が多い為、無駄な時間を嫌います。遊び半分での軽い相談を受けてもらえないですね。

デメリット

模範的な家庭を求められる事が多いかと。なぜなら、両親が高い地位の方(会社の取締役や経営者)だと、世間体を気にする場合があるからです。社内での事だけでなく、家庭内のトラブルや警察沙汰があると会社自体の心象悪化にもつながる場合がある為、家庭内でも子供に対する縛りが出てくる可能性はあります。

ただ、このデメリットも最終的には両親の性格次第かなと思います。両親が厳格で妥協を許さない方であればあるほど、その状況は子供にとってプレッシャーにしかなるわけで。そして、それはお金持ちであろうが、貧乏であろうが、変わりは有りませんよね。貧乏家庭だと逆にお金に対して厳格だったりしますよね。結局は子供がしたいように生き方を自由に決められるかは両親次第だと思います。特に子供の頃は知識も社会的地位もありませんから、両親が言われる事を絶対的に受け入れる可能性が非常に高いです。

まとめ

こうしてみると、お金持ちの家に生まれた方が圧倒的に有利のは事実ですね(笑)。ただ、高年収の方は全体からすれば、僅かであり、大多数の人は一般レベルの家庭になると思います。出生による恩恵を受けている人は全体のごく一部です。羨む気持ちはあると思いますが、ここは仕方ないと思って諦めましょう。

一方で上流家庭の場合、それを維持する為のコストが大きい為に歯車が崩れだすと一気に転げ落ちる事もないわけではありません。落ちる恐怖又は落ちたくない恐怖と戦っている状態がずっと続いている状態の場合もありえます。

しかし、元々、低流家庭であれば、後は上がるだけですので、恐れるものは何もありません。また、同じような境遇にいるからこそ、同じ気持ちを共有/共感出来たり、友達同士仲良くなりやすいといった事もあるかと思います。大多数の人と同じ境遇にいるからこそ、同じ感情/境遇を分かち合えるのだと思います。

「お金持ちの家に生まれたかったのに、そうでなかった。残念」と思うよりも、それなら、自分自身が努力する事で、お金持ちになってやる事を目指しましょう。追われるよりも追う方で、いつか追い越してやるんだという気持ちで、頑張りましょう。「いつまでもあると思うな、親と金」という諺があるように、順番に行けば、親は先に亡くなってしまいます。最後には自分自身でお金を稼げるようにならなければ、いけないわけです。(それでも遺産が沢山あると最後まで親の世話になれたりしますけどね・・笑)

才能の壁について

この一番簡単な例を挙げるとするなら、最近、話題のあの人が誰もが納得できる最も良い例だと思います。おお〇に選手ではないですよ。いけ〇りかこ選手ですね。

彼女は2019年2月に白血病を患い、選手活動を一切せずに1年以上、治療に専念していました。しかし、2020年に選手復帰後のわずか半月ほどで再び返り咲き、東京オリンピックの切符を手にした逸材です。(Wikipedia調べ)

これがどれほど凄い事かというと、1年間以上、完全にトレーニングから離れて治療していた状態から、他の一流を競っている選手たちが、その間ずっと努力をしていたにも関わらず、その人達をものともせずに、抜き去っていった事実。これは単に「彼女が人一倍努力したから」では片づけられない「才能」と言って間違いないと思います。才能は努力では決して超える事はできない壁です。その人にしか備わっていない特殊能力と言ってもいいと思います。私はこの内容をニュースで聞いた時に、いけ〇選手凄いと思うよりも、他の選手がショックだったろうなあと心の中で思っていました。

知能の世界でいうなら、IQが高い人が、これにあたると思います。頭の回転が速い、物事を多面的に捉えられる、即座に適応した答えを返せるといった考え方が出来る人たちがいますよね。

この才能のある人たちに同時期に競争相手として、ぶつかってしまった人達は、私としては「残念」としか言いようがないです。才能のある人に真っ向挑んでも勝ち目はないと思います。それよりかは、むしろ、その人からコツや情報をもらって、自身の能力向上に役立てた方が良いと思います。つまり2番に甘んじ、その人が抜けた時に穴を埋める作戦。なので、単純に才能がある人と被ったから、諦めるのは早計です。また、圧倒的な能力の差がある場合は別として、才能が無い人でも、同じレベル位までには追いつける事があるからです

自身の才能の有無を知るには、実際にやってみなければ分からないという点が難しい所。そして、自分ではその才能に気づけない事が往々にしてあります。自分にはそれが当たり前と捉えていたり、親が褒めてくれる事を勘違いしたりするからです。他者から見て、明らかに「あっ、この人違う、凄いな」という評価が出るように、人と異なる才能があるなとわかるわけです。

そして、才能には、加齢による能力の低下により限界がくるものとそうでないものがあります。なので「今の自分には才能は何もない」と決めつけずに、自身が興味を持てる事に色々と挑戦してみる事は大事だと思います。思わぬ所で、思わぬ才能が見つかるかもしれません

で、先程、才能が無い人でも同程度まで追いつけるという話をしたと思います。それは、凡人でも偉人の3倍努力すれば、超える事は出来ないが、それに類似した能力があるかのように見えるようになるという事です。

簡単な例を挙げれば、元々、偏差値の低い人が東京大学へ合格する話です。これは元々は勉強の才能が無いけれども、人が遊んでいる時間も必死に勉強をする事で、ある程度の域(東京大学に合格できる)まで能力が上がったように見えるという事です。ここで見えると表現したのは、本当に才能のある人は東京大学に入るのが通過点でしかないって事です。勉強の才能のある人にとっては、ほんの少し勉強しただけで理解も呑み込みも早い為、東京大学に受かる事が目的ではなく、入った後を見据えています。

私の例を話せば、私は中学時代とても成績が悪く、成績表はいつも底辺をさまよっていました。高校になんとか上がり、あるきっかけによって、一念発起して勉強を必死にやるようになりました。その結果、高校では上位の成績を取る事が出来、無事大学への進学もできました。その時、成績上位に居続けた方にとっては、上位にいる事が目的ではなく、さらにより良い大学へ進学するにはどうしたら良いか、学校の勉強だけでは足りないと感じ、他の勉強を行っている状態だったのです。私は底から上位を目指すだけで精いっぱいだったのに対し、上位の方は、そこからさらに上を目指す事に精力を注いでいたというわけです。

余談ですが、頭のいい人はノートひとつとっても、凡人と異なります。私はただ単純に先生の言った事や黒板に書いたことを書き写すだけでしたが、頭のいい人は自身で授業を再現できるように分かり易く書き込む事をします。参考動画はこちら

ここでポイントは、才能ある人も無い人も、結果的には東京大学に行ったのだから、同レベルの扱いにはなるわけです。同じ東京大学出身者=才能がある人と捉えられる。でも本当に才能のある人が1の努力で到達したのに対し、3の努力でやっと入った人とでは、この先の努力の度合いは変わってきます。常に3の努力を続けなければ、同じ位置をキープできない人は常にギリギリの状態になっている事を意味しています。さらに当初の目的を達成した事で、燃え尽き症候群となって、その先の努力ができない状態になるでしょう。

私の話に戻せば、私は高校時代に人が遊んでいる時にも、こっそり勉強をして、成績を伸ばしましたが、そこが限界点でした。やっとこ大学に入りましたが、またそこから、さらに踏み込んだ勉強をする気になれなかったです。しかし、高校時代、私の同級生だった友達からは、「お前は高校時代、頭良かったよね」とよく言われます。

で、この事から、何が言いたいかというと、才能が無くても、才能がある人の3倍位努力すれば、才能がある人の様に見せる事ができるって事です。努力によって、ある程度の域に到達する事で、周りの評価を得る事が出来るわけです。その努力は並大抵の事ではないですが・・・。人の3倍努力って、簡単な事ではないです。一緒に遊んでいては、一生、3倍努力する事はできません。これを実現する為には、他者が遊んでいる時間」が、「自分にとってのチャンスタイム」と思って、努力する事。

最も簡単に説明するなら、人の1日の時間は24時間ですね。これは誰もが一緒。その内、仕事(勉強)/食事/睡眠/遊びの時間として、仮に時給1,000円で8時間の仕事をしていたとしましょう。普通の人であれば、8,000円/日の収入を得ます。才能のある人は、その2倍の収入16,000円/日を得ていたとしましょう。しかし、また別の人は睡眠時間を4時間として、他の時間を仕事時間として働いたとしたら、どうでしょう。20,000円/日稼げますよね。これなら、稼いだお金の額だけを比較したのであれば、1日20,000円稼いでいる人が最も稼いでいるとなりますよね。これを才能があるとは言いませんが、金銭面だけで言うなら、より多くの価値を取得している事になります。普通の人は8,000円/日、才能がある人は16,000円/日、才能が無くても努力でカバーしている人は20,000円/日を得ているわけです。才能がなければ、努力をして追いつくだけです。

まとめ

結果から言えば、才能があるのなら、それを伸ばした方が圧倒的に良いです。人より秀でている能力を生かした方が圧倒的に効率が良いから。でも、才能は誰しもが持てるものではないし、それを見つける事も難しいです。でも、才能が無くても努力によって、それに追いつき、才能があるかのように見せる事は可能です。まずは自分の興味ある事から、色々試しにやってみる事がいいと思います。年齢が進むと中々、新しい事にチャレンジしづらくなります。若いうちに色々とやってみる事をお薦めします。でも、犯罪や法に触れるような事はしてはダメですよ。

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